曾祖母(私の祖母)を見送りました。

先週、長男の誕生日の前日、息子たちのひいおばあちゃん(私の祖母)が他界しました。

地元に戻って葬儀やらなにやら終えて、ようやく家に帰ってきたところです。

 

18になるまで私は祖母とも一緒に暮らしており、私にとっての祖母は母親も同然でした。

4歳で入園するまでは働く母の代わりに毎日私を見てくれていたし、

食事だって毎日祖母の料理を食べていました。

その祖母がいなくなってもいつもどおりに始まる1日を、まだ直視できません。

 

ただあるのは、2年前に脳梗塞を起して心身ともに辛い状態になってからも、2年も生きてくれたことへの感謝です。

 

別々に住むようになってからは年に数回しか会いに行けなかったこと。

生きていてくれてありがとう、おばあちゃんが生きていてくれるだけで私は嬉しいよ。

それを伝えられぬままお別れになってしまったことが悔やまれます。

 

年に数回しか会えず、会いに行ってもここしばらくは会話もままならず、、そんな状況でも、

祖母の存在が、こんなにも大きく、嬉しく、尊いことであることに

今まで気が付かずにいた自分はなんて愚かなんだろうと思う。

 

いなくなって初めて、私が祖母にしてあげられることは もっと山ほどあったと感じています。

私が直視できないのは、この後悔のほうかもしれません。

もう二度と、同じ後悔はしたくありません。

 

実家では祖母の部屋だった和室に泊まりました。

長男は病院や施設に入る前の祖母のこともよく覚えていました。

祖母が実家にいた頃は長男もまだ3歳くらいだったと思いますが

「ここにベットがあって、おおばあちゃん(曾祖母)が寝てて、このテレビの横にあられとかお菓子とか置いてあったよね。」

と、以前の祖母のことも思い出したようです。

祖母にとっては、ひ孫が自分を覚えていることが何よりの供養だと感じたりしました。

 

長男は、冷たくなって眠っている祖母の傍で泣いてしまう私に

「母ちゃんはおおばあちゃんを5分くらいじーっと見ていると泣いちゃうから…」と言って

手紙を書いてくれました。

そこには

『かあちゃんないてたけど おとうさん おかあさんがいるから がんばってね』

と書かれていました。

(おとうさん・おかあさん というは、私の両親のことですね)

 

お通夜や葬儀でも長男はいつものように大きな声でいろんな質問を初対面の親戚の人にも投げかけていて、

「しんじゃった」とか(子どもだからしょうがないんだけど)ストレートすぎる表現を大きな声で連発するし、

「おおばあちゃんをお葬式の後に燃やすんだ」とか「燃やしたあとには骨が残って、本当は人間の骨の数は206個あるんだけど、燃やしたら50個くらいになると思う」とか…「骨拾うの楽しみ~」とか…

また不謹慎なことを言ってる…と、親としては次は何を言い出すかとひやひやものだったのですが、

そんな長男のことも親戚の方々はすごく可愛がってくれて、本当にかわいい! とか、大好き! とか、かしこいねとか、人懐っこいねとか言ってくれて温かさを感じました。

ただ、人懐っこすぎてさらわれるのが心配だな、、と皆さん口をそろえておっしゃっていました。

これはもう、、小さいころから人見知りが全くない人なのでよく言われてます。。

 

そんな長男も、お焼香はちゃんと前に出てできたし、式の時には静かに座っていてくれました。

いつでも退席できるように夫と息子たちは最後方に座っていたので、前のほうの席にいた私とは離れていたのですが、

途中で騒ぎ出した次男と夫が退席してからも、式が終わるまでずっと一人でその場所に座っていたようです。

式が終わった後、前のほうに座っていた私のもとに駆け寄って来た時には「待ちすぎた…。」と泣いていて、頑張ってくれたんだなぁと思いました。

長男のやさしさだけでなく、次男の無邪気さにもずいぶんと助けられました。

 

 

私が父や母と談笑していると、長男が言ってくるんです。

「こら! おおばあちゃんが死んだのに、悲しくないのか!?」って。

ずっと、いつも、悲しんではいられないからね。

残された私達は、これからも生きていかないといけないからね。

油断すると息もできないくらいに苦しくなるし、これから乗り越えていけるのかわからないけど。。

 

亡くなって改めて、世話好きで情に厚く義理堅い祖母が大勢の人に慕われていたことを感じました。

祖母は立派に生きた人だったから、悲しくはないんです。

ただたださみしくて。

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