「自分で考えなさい」と「~しなければならない」に思う。

「自分で考えなさい」は、私のようなひねくれ者基準で言い換えるなら

=「私の意図するものをあなたが察しなさい」だ。

つまり、答えを生み出す為に考えるのではなく、既に決められている答えを捜す作業。

 

ちょうど私が学校で働き始めたころに、友人が話してくれた言葉がある。

 

世の中、「してはいけない」ことは沢山あるけど

「しなくちゃいけない」ことなんて、そうそうないよね

 

この友人の言葉に、自分の生き方を考える時も、子どもたちとかかわる時にも、

どれほど助けられてきただろう…って思う。

 

学校には一見すると「しなければならない事」らしきものが溢れていて、

よくよく考えたら大半は「しなければならない」訳じゃないよなぁって思うんだけど

学校では選択の余地はなくて。

たとえ自分の感覚や意志に反していても、疑問を感じても、違和感を持っても。

「それが集団生活だ」「目標だ」と押し返されてしまう。

深く考えたり振り返る時間なんて与えてもらえない。

次々とピッチャーが投げる球をキャッチし続けなければならない。

最初から答えが決まってる。そこにたどり着くまでの道筋まで決められている。

私はいつも息切れしてた。

 

「~しないといけない」「~でいなければならない」

そう語られる時、

それらは「誰が」望んだ事なの? って、、そこには主体となる人物が留守の気がずっとしてる。

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