義両親と夫に対する悩み。自他境界と『課題の分離』がヒントになった話。

唐突ですが、私は義理の両親が苦手です…。

結婚して7年になりますが、最初の頃は義両親と打ち解けられるよう努力していたつもりです。仲良くなりたいと思っていたので。

義両親は遠方に住んでいますが、時々こちらから電話をしたり、手紙を書いたりしていました。

でも、その時の義両親の言動が受け入れ難く、気が付けば大きなストレスを抱えるようになっていました。

義両親と会ったり、電話で話をしたりした日は、混乱し眠れなくなり、朝まで一睡もできない日さえありました。(それでも朝には待ったなしの育児が始まる…)

更には義母からの手紙を読むと具合が悪くなるようになり、手紙すらも読めなくなりました。

 

しかし現在は、ストレスもほどほどに抑えることができています。

これは私自身の考え方を変えたことが大きいと思います。

タイトルにも書きましたが、意識したのは自他境界課題の分離です。

そんな話を書きたいと思います。

 

今回は子どものこととはあまり関係がないし、ネガティブ表現も多いので、苦手な方は読まれないほうがよいかもしれません。

 

私と義両親とのやりとりで…

最初に義両親に対してえっ⁈って思ったのは、第一子である長男を妊娠中に義母から言われた言葉でした。

「もし健康じゃない子が生まれてもね…ショックを受けてちゃだめだからね。母親がどっしり構えてないと。」

(↑実際は義母はもっと具体的な言葉を使っていましたが、文字にするとショッキングな気がするので少し表現を変えました。)

まだ生まれてもないし、妊婦健診でも順調そのものなのに、なぜわざわざそんな話を?? 理解に苦しみました。

「心配し過ぎですよ〜。きっと元気な子が生まれますって!」と応えましたが、この時の私には怒りしかありませんでした。

妊娠中は不安も強く敏感な精神状態で、必死に気持ちをコントロールしながらの生活だったので、これはきつかったです。。

一度聞いたネガティブな言葉をなかなか忘れられないので…。

 

また、こんなこともありました。

私はチャイルドシート(ベビーシート)なしで乳児を車に乗せるのは危険という認識です。

でも義両親は、少しの距離ならチャイルドシートがなくても車に乗せて大丈夫という感覚で、

「そのくらいの融通が利かないとだめだ。」とか「もっとおおらかにならないと。」と言われてしまいます。

(おおらかになりなさい、と他者に言えてしまう人こそ、おおらかの対極にいると思うのですが…。)

私は車に乗る時は常に事故の可能性を考えてしまうし、死への恐怖を日常的に強く感じてしまうほうです。そんな私が大袈裟なのかもしれません。

でもだからと言って、自分と考えが違う人をただ切り捨てるだけの物言いには辟易してしまいました。

義両親がどんな考えを持っていようと自由だけど、私にそれを押し付けないで欲しいと思いました。

 

義母から電話があって

「毎日家に引きこもってばかりいないで、子どもと外に出たほうがいいよ。日光に当たることで生活リズムが…云々」

と言われた事があります。

家に引きこもった覚えはなく、毎日どこかしら出かけてるんだけど、なせが引きこもってる前提。

そもそも遠方に住む義母が、私が引きこもってるか否かなんて知りようがないでしょうに。

この場合「昨日はどこどこへ出かけて今日はどこどこへ行ってきたよ」と私が伝えても、最初の前提が覆ることはありません。

私が何を言おうと、義両親は自分の考えたいように考えるようです。

 

自他境界が曖昧な、義両親と私

おそらく義両親は、自分達と私や夫が、自分とは別の考えを持った人間だという風に考えられないのだと思います。

自分と他者との境界がとても曖昧なのです。

自分が感じることは相手も感じている、無意識にそう思ってしまうし、そうでなければ許しがたいのです。

義両親が子育てしていて感じた心配ごとなどを、私や夫も全く同じに感じていると思うんだろうと思います。

また、ものごとには一つの答えが存在し、自分にとっての正解=万人にとっての正解 だと信じているので、

その正解を相手が受け入れてくれないと、憤慨するのだと思います。

 

偉そうなこと言ってますが、実は私自身にもそういう所はあります。私も他者との境界が曖昧な人間です。

だからこそ、義両親の態度に強くストレスを感じもするし、彼らの言動を理解できないことに苦しむのだろうと思います。

“私と義両親は別の人間。理解し合えなくて当たり前。”

そのように考えればもっと楽なはずなのに。

 

子どもの頃から長年、悩まされてきた事でもあります。

(大人に対してのみですが)自分と異なる主義主張の人を認められなかったのです。これは、無意識下にありながら、絶対的な感情(?)です。

「なぜ分からないの?」とその人に詰め寄りたい衝動を抑えられず、何とかして自分の主張に納得して貰えるようにあれこれ手を尽くしてみたり…。

それでも分かって貰えなければ勝手に絶望したり。。

 

全く面識のない人に対してであってもそうでした。

例えば、道路でスピード違反をする人に対しての怒りの感情で頭の中が支配されてしまう事も頻繁にありました。

(スピード違反を許したい訳ではなく、その事で他の事が手につかないほど動揺してしまう自分をなんとかしたい。)

 

多分、義両親も、そんな私と似たような状態なのかなと思います。

自分達と息子夫婦を、一体化して見過ぎているのかもしれません。

「自他境界」というキーワードで、少しだけ義両親を理解できるような気もしました。

また、私自身への戒めにもなりました。

 

夫へのモラハラ発言

ストレスを感じるのは、私と義両親との直接のやりとりだけではありません。

義両親(特に義父)から夫への、いわゆるモラハラな発言に対してもです。

むしろ私がストレスを感じるのはこちらのほうが大きいかもしれません。

 

夫は20代の時に、とある病気を発症しました。(命にはかかわりませんが、完治もしてません)

なぜこんな話を書くのかというと、、

夫によれば、発症のきっかけとなったのは義両親から受けたストレスだったと言うのです。

発症のメカニズムも解明されていない病気なので、実際のところは何が原因だったのかはわかりません。

本当にストレスが原因なのかもわかりません。

しかし彼自身がそう口にするほど、両親に対してストレスを感じていたことは確かなのだろうと思います。

 

そのことについては、夫と義両親とのやりとりを見ているうちに、徐々に私にも事情が見えてきました。

義両親は、自分の子供たちに対してとても支配的で評価的なのです。

夫には兄弟がいますが、何かと兄弟で比べて夫にダメ出ししてきます。

そして、夫の目の前で、夫の母校を「バカ学校」と呼ぶ(ふざけてる訳じゃなくさらっと会話に盛り込む。まるで夫がその学校出身である事を忘れたかのように)等、その他にも暴言やモラハラ発言が目立ちます。

私だったら間違いなくその場でブチギレるレベルです。。

でも夫はそれをしません。夫は何も言いません。

自分の両親に常に気を遣っているからです。

夫は義両親に言いにくいことは適当に嘘を作り出して誤魔化していることもあります。

つかなくていいのでは? という小さすぎる嘘までついてます。(でも結局バレて嘘つくなと責められる)

夫は、両親に対して反論したり否定したりすることは悪だと思っている節があります。

たとえ自分の気持ちを押さえつけても。それが彼の道徳観?なのか…。

と同時に、諦らめに似た感情もあるのだと思います。

 

でも私は、それはいかがなものか? と思ってしまうんです。

果たしてそれがお互いの為になるの? と。

義両親の言動も年々エスカレートしていますし。(悪気はないのでしょうけど…親子であっても言っていいことと悪いことがあると思う。)

夫は激務ですが、夜中に義両親から電話がかかってきて、子育て論やら何やら、例の夫へのダメ出しも交えて、1時間以上電話が終わらないときもあります。

やっと電話が終わった後の夫は、もう精神的にも肉体的にも疲弊しています。

どんなにしんどくても、「ちょっと今日は疲れてるからまた明日電話するね。」

それすらも言えない関係性なのです。

 

私はそんな義両親のことはもちろん、夫の行動も理解できません。

夫だけがいつも苦しんでいるのを見ていられず、その待遇を受け入れている夫にもイライラしてしまうんです。

夫に私は「ちゃんと自分の気持ちを伝えたら?」とか「私が代わりに言おうか?」等と話してきました。大きなお世話かと思いますが、見るに堪えられなくて。。(また夫との境界が曖昧になってますね…)

しかしそれを夫が受け入れる事はなく、義両親とやり取りがあるたびに夫婦間でも揉める火種になっていました。

 

義両親と夫との関係性をなんとか私が改善できないかと動いてみたこともありました。

しかし徒労に終わるどころかむしろ悪化しました。まあ、そうですよね。。私、そんな器じゃないですし。余計なお世話ですよね。自分でもおこがましいと思います。

 

アドラー心理学の本

そんな時たまたま、当時話題になっていた『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』という本を読みました。

個人心理学者のアルフレッド・アドラーの教えを紹介している本です。

その本には「課題の分離」という考え方が紹介されていました。

たとえば目の前に「勉強する」という課題があったとき、アドラー心理学では「これは誰の課題なのか?」という観点から考えを進めていきます。

子どもが勉強するかしないのか。あるいは友達と遊びに行くのか行かないのか、本来これは「子どもの課題」であって「親の課題」ではありません。

そこに対して親が、「勉強しなさい」と命じるのは、他者の課題に対して、いわば土足で踏み込むような行為です。(中略)われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。

あらゆる人間関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むことーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることーによって引き起こされます。

むしろ距離の近い家族だからこそ、もっと意識的に課題を分離していく必要があります。

出典:『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え 』p.140~145

子どもの勉強を例にしているので少し強引というか、無理があるような印象もしてしまいますが、

私は夫との間で、この「課題の分離」ができていないのではないだろうか、と考えました。

私が、“両親に何も言い返せない夫”にイライラしてしまい「ちゃんと自分の気持ちを話したほうがいいよ。」等と自分の考えややり方を押し付けるのは、課題の分離ができていないということなのかな? と。

私は私で、夫のやり方をもっと尊重したほうがいいのかも、と。

結果を引き受けるのは夫な訳だし、彼自身がそれを選んでいるのだから。

それは私の課題じゃないという事に気づいたのです。

 

事実、私が余計な口出しをしなくても、義両親と夫で衝突があってもまあなんとなく丸く収まる事もあるのです。(一方的に夫がダメージ受けてる感じがありますが)

私だったら「絶対そんなんで丸く収まるかっ! ひとこと言わせてもらわないと気が済まないわっ!」っていう感じなんですけど^^;

本人たちがそれでよいなら、私が親子の課題に土足で踏み込むような事ではなかったんだとようやく気づきました。

 

それは、夫から私に対しても同じです。

以前は夫から、義両親に対してはこういう接し方をしてくれ、と頼まれたり、

何か食料などが宅配便で届いた時に、妻の私からお礼の電話をして欲しいと言われていた(でないと義両親から文句を言われる)のですが、

今はいっさい言われなくなりました。

夫も夫で、私のしたいようにしてくれればいいという態度に変わったのです。

お互いに自分の課題と相手の課題を分けられたのだと思います。

 

現在の関係性

自他境界の話に加えて、課題を分離するという考え方が、私には義両親や夫との関係に悩まないようになる為のヒントになりました。

 

そのことに気づいてからは、もう義両親に対して私から電話したり手紙を書いたりすることもなくなりました。

自分の体調を悪化させてまでかかわる必要はないと割り切り、距離を置くことに決めたのです。

今まで私の方から連絡を取っていたのは、多少なりとも「私のことを知ってほしい/わかってほしい」という気持ちがあったのだと思います。

でも、それは無理そうだという事も分かりました。

 

夫が義両親に電話する時も「よろしく伝えてね」とだけお願いして、私が直接話すことはめったにありません。私自身への誕生日プレゼントをいただいた時くらいかな?

夫と義両親の電話では、会話が聞こえないように私が別室に移動したり、私のいない時にかけて貰ったりもしています。

会話を聞いてしまうと、どうしてもまた夫に対して「どうして言い返さないのっ!?」と言いたくる気持ちがでてきてしまうからです。

 

一方、私と義両親とのやり取りでは、割と率直に本音を伝えています。

ストレートに「私はそれは違うと思います。」と伝えるし、「ごめんなさい、今その話をされるのは辛いです。」と言って電話を切ることもあります。

相手に遠慮がないので、こちらもこれ幸いとばかりに遠慮なく何でも言ってますし、義両親が「何でも言ってね。」と言ってたのも真に受けてます。(←)

 

私は先ほど書いたような、義両親に対するネガティブな記憶も、ずっと忘れられませんし、嫌だと感じた気持ちが薄れることもありません。

自分でも根に持つなぁ〜と思います。。

でも特性なのか性格なのかわかりませんが、これらの記憶を切り離す(忘れる)ことは困難です。

ふとした瞬間(全く予測不能)にまた思い出して、その時のショックやら怒りやらがその時のままで襲ってきます。

理性ではとっくに解決済みであっても。

だから、できるだけ距離をとるのが現在の最善策だと考えてます。

これ以上、ネガティブな記憶を量産しないように。

 

とは言っても、お祝い事などにはプレゼントを送りますし、

年に1度は帰省なり一緒に旅行なりします。その3/365日間だけは私も努力しようと決めています。

息子達にとっては大好きなおじいちゃん・おばあちゃんですし。できるだけ会える機会を増やしていきたいとも思います。

もちろん私たち家族を気遣ってくださることに感謝する気持ちだってあります。

ここまでいろいろ悪口を書いてしまいましたが、嬉しいこともなかった訳ではないんです。

 

ただ、面と向き合ってしまうと、、どうしてもお互いに、悪いほうへ悪いほうへ行ってしまう。

そう感じるので、現段階では、まだ距離を置きながら無理のない範囲で付き合っていったほうがいいのかなと思っています。

きっと時が来たら、新しい風が吹くこともあるのかな、と希望も持ちながら。

 

長文になり過ぎました。。

お読みいただき有難うございました。

 

↑哲人と若者の対話方式で書かれているので読みやすいです。
若者の口調がわざとらしくて笑っちゃうのも計算済み?

タイトルは「嫌われる勇気」ですが、別に嫌われることを勧める本ではありませんよ~^^;

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